脱サラたまごクラブ by ちわひ

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今週のお題「表彰状」

今週のお題「表彰状」

小学校一年生のとき、絵で表彰された。

なんとか平八郎賞に選ばれた。

紙を縦に使い、大きな木が2本、カブトムシなどが木に止まっているのを捕まえる大きな子供と、立ちションをする小さな子ども。

もはや記憶が曖昧だが、そんな感じの絵。

褒められた記憶は長く残る。

特に年齢が若い子供にとって、褒められる、認められることはとても大きな意味を持つ。

当時もとても誇らしく思ったし、親にも褒められたし、学校に飾られているのを見て更に嬉しくなった。

でも、絵を書き続けようとはしなかった

このような鮮烈な記憶を持っているのに、その後絵をうまくなろうとは特にしなかった。

なぜか?

それはなぜ当選したかがわからないからだ。

正に人生の一コマであり、連続性がないイベントとして過ぎ去ってしまったのだ。

もし

なぜ当選したか?

僕はどういうところがうまいので伸ばしたらいいか?

がはっきりわかり、その上で

やる気を出して練習し、再度当選する

経験を重ねていけばモノになっていたかもしれない。

もちろんそこまで絵を描くことに持続的な魅力を感じなかったという単純な理由もあるとは思う。

 しかし、これだけ嬉しかった経験があるのに、次につながってないのは、再現性にかけていたからだと思う。

中学生の時、作文で褒められた。

国語の授業で作文をしていた。

自転車で崖から落ちた経験を実況のような感じで描写した。

その時の国語の先生がこのような感じのことを言った。

「◯◯くんは文章がうまいなー。臨場感、描写力がすごい。」

これは嬉しかった。

たしかに、人にぶつかって崖に落ちる様を、スローモーション映像の実況のような感じで描写したのを覚えている。

先生に言われて、褒められた理由を理解したし、我ながらよくできたと思った。

その後の作文活動において、自分は「一度できた」という自信があり、

  • なんとなくの自信
  • 描写力を挙げれば臨場感が増し、いい文章になるという考え

を持ち続けている。糧になっている。

それはなぜか?

どうして褒められたか理解でき、再現性への道筋が見えた(気がした)からである。

高校の時、掃除で褒められた。

僕は不良ではなかったが決して真面目な生徒ではなかった。

学校の掃除なども、自由時間だ、ぐらいに考えてそんなに真面目に掃除をしなかった。

ただ、なぜか、階段エリアが担当の期間だけは真面目にやった。

まあ、外の掃除などより人の目があるというのもあるかもしれないが、なによりも、階段のホコリをほうきで集めて下段に落とし、ホコリがどんどん集まっていくのがなんか楽しく、そのエリアにいる期間は誰にも階段の掃き掃除はさせず、黙々と取り組んでいた。

今思えば階段というのが構造的に良かったのだと思う。

平坦な場所よりは一歩一歩感がある。

ある時、数学の授業で

「◯◯は階段の掃除を真面目にやってて偉い」

と言うようなことを言った。

まあ、僕が真面目に掃除をしなそうな人間だからこそ意外性があったのだとは思うが、自分もまさか褒められるとは思わなかったということで記憶に残っている。

表彰されるということ

今回のお題は表彰状ということだったが、表彰された記憶はあまり多くはない。

しかし、表彰されるとは、褒められることであり、認められることである。

そういう意味で今回は褒められた記憶というテーマに少しずらして書いたが、思えば子供の教育につながると思った。

親として子供を褒める

もっと子供を褒めなければならない。

僕の例のように、いい影響しかないし、どれかが将来に大きな影響を及ぼすかもしれない。

しかし親の難しさがある。

親が褒めても心にひびきにくいのだ。

贔屓目だろーとか、親への甘えというかなんというか。

親が子供に勉強を教える難しさなどに通じる、家族のつながりが邪魔するやつ。

やはり子供の心に届けようと思ったらこの2つの方法が有効だろう。

  1. 三者(先生、友達、家族でない大人)が褒める
  2. 親が第三者に子供のことを自慢する

1は親がそういうことが起こりやすい環境を作ってあげる努力はできるが、基本的に他人任せなので、むつかしい。

2は親が意識すれば比較的実現はできそうだ。

子供が自分に自信を持つためにはこのような経験が必要だ。

意識していこう。

 

おわり